(嫌な雨だな、明日の朝までにやみそうにないや)
傘を開こうか、このまま雨粒を無視して家まで歩こうか迷いながらも、あと5分ほどの距離まで来てしまった。
(まあいいや。あれ?)
前を歩いているのは、同じクラスの坂下と隣のクラスの真壁じゃないのか。平均よりも長めのスカートとちょっと縮れた髪の毛で坂下はすぐにわかった。真壁と『つきあっている』という噂があったけど、自分にはその『つきあう』という行為の意味も感覚も理解できなかった。
(ふーん)
自分の隣には珍しく同じクラスの永井が歩いている。帰り道で偶然合流して、とりとめのない話-嫌いな先生の悪口など-をしながら閉じた傘をぶらぶらさせている。
「ぅおーい、真壁ー」
永井は自分よりも交友関係が幅広いんだっけ。隣のクラスの人間なんかあまり話したことがないんだよな、俺。ちょっとうらやましく思った。
傘を開きかけていた真壁が振り向き、にやりと笑う。彼女と相合い傘を実行に移そうとしていたな。
「がんばれよー」
そうか、こういうときはこういうセリフが粋ってことなんだ。成績はお世辞にも芳しくない永井が妙に友人が多いのはこういうわけなんだ。
「じゃあな」
「またなー」
永井はこのまま親戚の店に行って夕方のバイトらしい。あのダボダボのズボンは校則にひっかかるんじゃないのか?
国道にかかる歩道橋に上る。小学生の頃は高く感じた段差も今では低すぎて上がりづらい。でこぼこな階段をぴちゃぴちゃと水しぶきを立てながら一段ずつ上がっていく。
歩道橋の上から隣の世琴市の方を見ると、数機のヘリコプターが飛び回っている。昨日の夜、山の中に隕石か何かが墜落したらしい。大きな爆発音のような音で目が覚めたが、火災が発生しているわけでもなかったので、そのまま睡眠を継続した。両親はしばらくテレビの速報を探していたようだが。
玄関の扉の前に人が座っていた。小さな女の子のようだ。いわゆる「体育座り」をしている。
(はてな?)
彼女が顔を上げて、自分の目を見る。一瞬、その瞳が深い赤に変わり、その中に映る自分の瞳が紫になったように見えた。それは本当に一瞬のことだった、すぐに黒いアジア人の瞳の色になった。
(誰だ?親戚にこんな子がいたっけ?)「家出少女」という言葉がすぐに出てくるほどはスレていない。
少女は、年相応とは言えない疲れ切った表情で
「正一、おかえり」
「ただいま」
表札を確認する、『由比』間違いない、自分の家だ。
少女は「おなかすいた」とつぶやくと、ぱたりと横に倒れて眠ってしまった。
少女をどかさないことには家に入れない、抱え上げてみてその軽さと柔らかさに驚く。
(うわっ、女の子ってふにゃふにゃなんだ)服がしっとりと湿っているからそれなりに長時間玄関前に座っていたな。その間誰も来なかったのか?つなぎのような変わった服装をしている。上は袖無しのノースリーブで下は膝までの半ズボンだ。靴下も靴もはいていない。足の裏は汚れていないから、歩いてここまで来たと言うことはなかろう。
「おかん!大変だ、玄関に女の子が座ってた!」
「空から落ちてきたんやないの?」
ボケはスルーして少女を母に預ける。
「俺は風呂を沸かしてくるから、おかんはこの子を着替えさせてやってくれ。それと、おにぎりを二つ三つ握って。ポカリの粉はあるよな」
湯船を洗いながら事態を整理してみる。日本人の顔で日本語を話したから日本人だろうな。なぜ、俺が「正一」だとわかったんだろう。栓を閉めて湯張りスイッチを押してリビングに戻ってみると、少女はソファで眠っていた。
「なんで俺のパジャマを着せたんだよ」胸元がダブダブじゃんか。見られて問題になるほどの胸はなさそうだが。
「えらいべっぴんさんやないの、いくらしたん?」
「売ってねーよ、他に着せるもんなかったのかよ」
「雨やったから手近にあったもん着せてん」
まあいいか、ポカリをお湯に溶かして水で割って適温に調節する。
「この子、親戚か?俺の名前を呼んだぞ」
「家出してきそうな歳の子はいないねえ」
そうだよな。知っている限りでは従兄弟のチビばかりのはずだ。
「オヤジの隠し子とか?」
「仕込んだのは大阪におったころになるから、それもあらへんやろ」
そもそもオヤジにそれほどの甲斐性はなかろう。
少女の傍らにしゃがみ、顔をのぞいてみる、端整な顔立ちだ。ぺちぺちと頬を叩いてみるが目を覚まさない。まずい、汗をかいていない。ストローを持ってきてポカリを途中まで入れて親指で蓋をして少女の口の中に突っ込む。口移しをするほどの実行力はない。親指を離すとポカリが少女の口の中に流れ込んだ。コクリとのどが動いたのが見えた。
「どや、飲みそう?」
「一口飲んだ」
二口目を準備する。
「おにぎりできたよ」
「ありがとう」
再びストローを口の中に入れて、ポカリを流し込む。飲んだ。
「で、なんでおにぎりなん?」
「日本人みたいやったから。おにぎりなら説明がいらんやろ?」
「ポカリは?」
「脱水してたみたいだったから。子供の頃、熱を出したらとりあえずポカリやったやろ」
「あんた、土壇場に強いなあ」
「オヤジに鍛えられたからな」
オヤジは陸軍の曹長を長いことやっている。
あ、目が覚めた。
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